「運動」好きな国だな、と思った。もちろん、architectural movementの意味だけれど、僕は、体育会系の意味での「運動」も、ここに見出している。既にこれまで、パレードやら、フェスティバル、学生自治体組織によるワークショップなど、その動きは、行動力も重なりあって、推進されている。心技一体。May 13の惨事から、どのようにコミュニティーが立ち上がり、建築学部がリカバリーとディスカバリーの軌跡を獲得するのか、当事者として、ここデルフト工科大学の新たな産声に耳をすましている。
先日届いた学内メールは、建築学部が「運動」へ向けて、スタートラインにあることを伝えた。タイトルは「The first step to a new Bouwkunde building!」。デルフト工科大学建築学部棟国際デザインコンペティションのためのプレコンペティション開催の知らせだった。今週末の6月7・8日にて行われる。公式の発表で「デルフト工科大学建築学部棟国際デザインコンペティション」の単語をはっきりと使ったのは、僕が知る限り、これが初めてだった。そのためのプレコンペティションのコンテンツに、「運動」化のダイナミズムを見つけたことは、想定内だけれど、少しばかり楽しませてくれた。「建築学部棟の新しいビジョンを見出し、今秋の
ベニスビエンナーレに出展する」という宣誓文だった。ジャッジはかなりのhigh profile。MVRDV、Riedijk、NAi Director、ほか、dutch architectsにより占められている。だから「運動」だ、というわけではなく、このデルフト工科大学建築学部棟の新築が、ストラテジーとして、ローカルスケールからナショナル、そしてグローバルスケールまで機能する「運動」として位置づけられていることを感じたからである。ベニスビエンナーレへの出展は、はっきりとした「運動」の「trajectory」をグローバルスケールまで押しすすめる、それは意思表明だった。「
Architecture beyond buliding」。ご存知の通り、これはベニスのビジョンだけれど、デルフトは、「Architecture beyond building は、デルフト工科大学新築棟のテーマとなり、また、世界へのムーブメントとしてベニスにて位置づけられる。この流れは、オランダが舵をとっている」、という線を自覚しているようである。ちなみに、このベニスのビジョンの提唱者は、Aaron Betsky。前NAi Directorである。今回のプレコンペティションのジャッジの一人、新NAi Director の Ole Boumanは去る5月にBetskey をRotterdamに招待し、ベニスビエンナーレの進捗のためのプレゼンテーションを依頼した。そのBoumanがデルフト工科大学のプレコンペティションのジャッジをつとめる。そして、ベニスへ出展させる。そのベニスの主導権が、NAiの前DirectorのBetskyによってオランダへ譲渡される。こうした線である。「更新しつづけることがモダニズムの態度」と乱暴に定義すると、焼失は、「更新」として、受け止められる出来事なのかもしれない。人災がなかったからこそ、事のほか、ポジティブに「運動」へ転化させられるともいえる。けれども、こうした「運動」へのマグマは、内部のものならすでにMay 13以前に知覚しており、大げさでもなく、沸点近くまでに達していたことは、疑う余地のないものだろう。Docomomo提唱者のデルフト工科大学は、皮肉にも、「保存」と「更新」の狭間で、しばらく苦しんでいたのである。Bakemaの冷たい閉鎖的なコンクリートビルディングとマス教育、一方でInternationalismによるポジショニングと、横断的かつ、コラボレイティブな環境の必然性。この苦悩な状況をWiny Maas は、B_NIEUWS 10で簡潔に述べている。「グローバルレベルで競争するには、確固たるオリジナリティが必要だ。デルフトは、残念ながら現時点で、
Harvardや
ETHの後塵を拝している。これは我々の名声に対して由々しきことである。デルフトは、はっきりとしたディレクションを持っていない。それはスーパーマーケットのコンセプトのようなものだからだ。これからのデルフトに必要なものは、stubbornでrebelliousな態度である」。Winyは、フィジカルな環境の変革も訴え、Bakemaの建築学部棟に対しても言及する。「建築学部棟はvertical bar codeへ更新されるべきだ。不動産学部のフロアー、Arupのフロアー、West8のフロアー、OMAのフロアー、UN StudioやNOXのフロアーへと。これらは互いに連携され、触発されやすいものとされるべきだ」。また、「世界を代表するオランダ建築家たちとのコラボレーションをもっと推進させるべきだ」。とも述べていた。デルフトはコンサバなのである。だからこそ、著名なダッチアーキテクトたちも、敬遠する。その悪循環を指している。ただ、昨今、急激なデルフト工科大学の
internationalismに対する変革の効もあって、徐々にleading dutch architectsがデルフトへ参画し始めている。かのWinyも喜ばしいこと、と賞賛し、さらなる推進を叫ぶ。正直、vertical bar code?! と(?)な印象をもつけれども、伝えたかったことは、このMay 13という惨事が、様々な伏線を束ね、「運動」へ転化する、ダイナミズムを生み出しているということ(ここに、オランダのモダニズムの旗手としての気概を感じてしまうのは、いささか内部性としての「ひいき」か)。20世紀後半のモダニズム運動の礎を築いた1956年CIAM崩壊を導くTEAM10の誕生、その主要メンバーであったBakemaの建築学部棟の崩壊、といった構図にdramatizeされているのかもしれないけれども、beyond the disaster, toward a movement。しばらくは目が離せないデルフト工科大学建築学部なのである。
(Urgent Meeting for Faculty of Architecture at Aula of TU Delft, 15 May 2008, Photo: Author)