去る7月7日、卒業式が催された。「残念な」式典だった。天候が悪かったから、ではない。いまだに、
Internationalismの途上から抜け出せずにいる不甲斐なさが、あちこちで感じられたからだった。
「International Students のため」の式典。このあたりが先ず「ダメ」な部分、と思うのは僕だけだろうか。Internationalismを推し進めるのであれば、こういった「International」と「Domestic」の学生を区分けする思考は、もう払拭されるべきはずのものである。僕らは、デルフト工科大学がMSc Programmesの一部をInternationalにし始めてから数えて「10期生」にあたる。「節目の年だ」と、式典の挨拶に、Rectorは語りかけていたけれど、10年もたって、この式典のスタイルを続けているのは、なんともおかしな話である。大学当局は、僕らInternational Studentsを「お客様」のように扱っている感じを受ける。Internationalismを推し進めるため、粗相のないよう取り計らっているかのようにも映る。だとすれば大間違いで、僕らが望んでいるのは、現地オランダ人と同等の扱いであることを、きちんと了解して、MSc Programmeの初めから終わりまで貫徹して取り組んで欲しいものである。もちろん、彼らの努力を全否定するわけではなくて、その成果は目を見張るものであることは付け加えておかなくてはならない。学位授与もダッチと同様に、個々のfinal presentationが終わった直後に手渡されるようになったし、一部MScカリキュラムで行われていたダッチとinternational studentsとの区別も極力撤廃される方針で動き始めている(ちなみに、Urbanism Trackでは、ダッチとinternational studentsは完全に同等の扱いで初めから終わりまで混ざり合って進められている)。なので、このFarewell Celebrationは、すくなくとも、ダッチ卒業生も混ぜた、盛大な式典として企画されて欲しかった。
というわけで、当日は、数百名の参加者しかおらず、当局も「皆さん、もっと前に集まって」といわざる終えない寂しい状況となった。服装もばらばら。各国の伝統的な衣装をまとってくるのであればまだしも、もちろんそれらは数えるばかり。却って「とりとめのなさ」を露呈するものとなった。アメリカの卒業式で見てきたマントとハットを装った粛々としたものは用意されておらず(先生方のみ着用)、どうみても、それらは「自由」とは程遠く「だらしない」ものに映った。せっかくダッチ仕様のマントとハットがあるのだから、先生方だけではなく、学生も共有してしかるべきである。International studentsには貧しい国から来ている人も多い。そうしたマントやハットがなければ、自然と、その服装にも格差が出てきてしまう。艶やかに装うことが、却って心苦しくもなる。「だらしなさ」と「格差」が、大きなバケマ設計の大講堂の前方に無理強いに固められた小さな集団からあぶりだされた。本当に、残念である。
式典の内容は、主にInternationalismの歩みを包括。International studentsの学生数の増加と国際的な学術成果をアピールしていた。学生数について触れると、僕らの2006年度は393名が登録。翌年の2007年度は550名、今年2008年度は600名以上にものぼるとのこと。ちなみに393名中、124名がなんと建築学部生。また、393名中、63%がアジア人。その半数が中国人。デルフト工科大学のInternationalismは、どうやら建築学部生と中国人によって支えられているといって良さそうである。国際的な学術的成果については、デルフト工科大学にとって実り多い年だったようだ。とりわけ3つのハイテック産業、「自動車」「航空宇宙工学」「ロボット」において、功績を残したとのこと。知る人も多い2年に1度のオーストラリア砂漠地帯で行われる世界ソーラーカーレース「
World Solar Challenge」において、デルフト工科大学の
Nuna4が今年も優勝。これにて、2001年から4大会連続の優勝といった快挙を成し遂げた。ナノ衛星の打ち上げも記憶に新しい。2008年1月、デルフト工科大学アマチュア衛星チームは、ナノ衛星「
Delfi-C3」を世に送り出した。牛乳箱ほどのサイズというから、いかにハイテックが凝縮されているかが伺える。去る5月に大題的に発表された新世代二足歩行ロボット「
Flame」も輝かしかった。学生の博士論文とのことだが、ホンダの
アシモとはまったく機構のことなる「前のめりに倒れる」モデルを採用した世界初のロボットとのこと。人間歩行の複雑系を解き明かしたことで、より自然な歩行を実現することに成功した。いずれも注目に値するのが、これら3大開発が学生と教授によって進められているということ。ロボットが博士論文というのも驚きだが、とにもかくにも、デルフト工科大学の保有するコンテンツには目を見張るものがあるので、Englishで学ぶことが出来る
MSc Programmeは、米国や英国とならび、今後そのpopulalityを獲得することは時間の問題なのかもしれない。
そうこうしている内に式典も終わり、いつものごとくparty time。バンドやカクテルライトが飛び回るなか、グラスを交わし、抱擁を繰り返した。卒業アルバムとして、MSc Yearbook 2008なるものを戴いた。これは、なかなかよい贈り物。世界中の学生たちがここに集い、どのようにここで営み、苦難を乗り越え、喜びを分かち合ったのか、各々掲載されているレポートから、それらが読み取れて楽しい。ただ、これらも残念ながら、International studentsのみを対象にした企画物。次の10年へ向けて、デルフト工科大学には更なるInternationalismの飛躍を願いたい。
2年間の留学生活がこうして幕を下ろした。僕の友人の殆どは滞在延長を申請している。仕事を探すか、Ph.d.で残るかで悩んでいる。僕はというと、さっぱりこの地を離れることに決めた。今年の初めに起きた一身上の出来事と、去る5月の
建築学部棟全焼から、「ここに滞在するという流れ」が淡く消え去りつつあることを感じたからだ。もちろん30代という年齢も大きく左右している。とにもかくにも、僕はオランダはデルフトの地をこの夏に立つ。月並みだけれど、聞かれれば、「よい2年間だった」、と素直に答えられる、そんな留学生活を送れた。心から感謝したい。